レコード業界のあれこれに詳しい大阪在住のS氏。東京人にとっては、話の内容と共にその大阪語が大変面白い。(本人は、フランス帰りのフランス訛と言っている。)そこで、S氏に東京人の為の大阪語講座と言う名目で、レコード業界の面白いエピソードを語ってもらおうと言うコーナーを設けてしまった。第一回目の今回は、イタリアのレーベル『ブラック・セイント』にまつわるお話。
私のフリー・ジャズとの衝撃的な出会いについて話しましょか。今から足掛け25年前、足が短こうて届けへんかったて?ほっとけ。ヨーロッパでぼう然としとったんですわ。何でかて?なんもいい所がなかったんですわ。そんなある日、雨でしたわ。出会いはいつも雨いう奴でんな。イタリアのミラノの、とあるレコード屋さんにプラッと入って、レコード見とったら、白いコートの男の人がやって来て、「何か探してんのん?」て聞いたんですわ。「イエス。」言うたら、「今出たばかりのいいのがあるよ。」てレコード見せるから、「ほな、これもらうわ。」言うたんですわ。ほしたらな、このレコード会社の住所知ってるからそこ行け言うて、住所教えたら、さっさとどこかへ行ってしもうたんです。
ほんで、まあ行って見るか思て、そのレコード会社の事務所いう所へ、一人で行きました。それが、『ブラック・セイント』です。ジアコモ・ペリオッティて言う女性プロデューサーがおって、丁度『ブラック・セイント』をジョバンニ・ボナンドリーニに売ったばかりやと。自分にはもう情熱がなくなったけど、ジョバンニには情熱があって、もっとビッグなレーベルにするはずやと言わはるんですわ。ほんでそのままジョバンニの所に行きました。ミラノのドゥオモのすぐ隣の地下の事務所でした。ここでジョバンニとの運命の出会いがあったんですわ。この人とは前世で会ってると直感しました。せやから、運命の再会でんな。
ジョバンニとすっかり意気投合して、今からうちへ来い言うんで、そのまま家へ行って、結局2日間泊まりましたわ。My Longest Day でんな。それからジョバンニに、世界のディストリビューターを紹介してもらって、ほんまに、あの人に足向けて寝られまへんな。
せや、今から考えると、あの時の白いコートの男性は、ドン・モイエやったと思います。アート・アンサンブル・シカゴの。すごい話でっしゃろ?それから2、3年経って、ジョバンニとドン・モイエとの大ゲンカの現場に居合わせる事になるんやけど、その時の話は、またこの次にしましょ。