いのさんとお別れしてきた。
この時が来るとは分かっていてもやはり寂しい。もうあの感じ(リズムセクションとして一緒に感じるスイング感など)はもう無いという事。
リーダーとしての存在感。ビックバンドを率いるドラミング。これらはもう無い。
27歳で初めて会って『有楽町のスイングでやってるから遊びに来い』3曲やらせてもらって『明日から一緒にやろう』
と言われて翌日マネージャーから電話をもらいドラムマガジンの付録のソノシートの録音。ピアノは西直樹。それから猪俣猛トリオがスタートした。新橋のスイングがホームで一月に10本くらいの仕事があり他の日は新宿ピットインの朝の部、エアジン、リブル、バベルセカンドばかりで猪俣猛トリオのおかげで食えていた。
いろいろな仕事を経験できた。当然激しい失敗も数ある。それに関して叱責は無い。
『派手にやったな!あはは』で終わる。
いつも懐中の大きさに圧倒された。
それでもクビにはならなかった。
同じ物ばかり着ていたらジャケットとか貰ったりした。旅の仕事で夏だったので麦わら帽子と短パンで新幹線に乗った時だけはネクタイスーツの猪俣さんに『すこしは考えろ』と言われたことは楽しい思い出だ。
いつもダンディ。オシャレでした。
カーネギーホールで叩く
これがイノさんの夢
いろいろないろいろ過ぎる障害があったがやり遂げた。
ほんとに凄い、凄まじい。
そんなことをしつつ、RCCという世界最大のドラムスクールをやり家族親戚の為何軒も家を建ていっさい誇らず無口で常に先を見ていた。初めからリーダーで死ぬまでリーダー。サイドマンの経験の無いドラマーを他に知らない。
ありがとうございました。猪俣さん。