ベースを弾き始めてから34年。その割りには上手くないのだが、練習嫌いだからしょうがない。
頭で考えるのは好きなので、いろいろ試している。音楽的なことを。
そのつど、「あ~あ、もっと練習しておけばよかった」と思う。
そして挫折し、あきらめる。も~う、切り捨てる。
私が偉いのは切り捨てて、「別の道は無いか?」と模索するところである。
ここが面の皮の厚いというが恥知らずというか。プロの音楽家の資質であるか。
ベースは弾きこなすのは体力的、物理的に大変なのだが。
それを理由にはできないですね。世にはとんでもないことをする人がたくさんいるんだから。
今、面白くて聴いているのはバリー・ガイ。アイリッシュのフリー系のミュージシャンである。友人の大木さんがライブを聴いてCDを何枚か買ってきた。それを借りて聴かせてもらった。ソロアルバムが強力である。
どう強力かというと、狙った音が出ている(ように聞こえる)。これは私のような半端もんにとってはものすごいことなのであ~る。
(特にフリー系のベーシストは胡散臭いのが多い。)
まあ、フリージャズだから、フリー(自由)だからどうでもいいんだけど。
語弊があると困るから言うけど、どのジャンルにしても音楽的であるかないか、と言うのは、私にとっての言葉だが、美しいかそうでないかとも言いかえられる。
美しいと思った音楽も他の人に言わせればそうではないということも起こりえるわけだから、ほんとはなんとも言えないのだけど。
私が思うに、「こいつの音楽は深いな」と思うことなのである。
深いというのは、きっと。その人はすべての事柄に真面目に向き合ってきた結果だと、私は勝手に思っているのであ~る。(ゆえに感動があるのであ~る)
私が聴くに、狙った音が出せてかつ、隙の無い音楽を構築できる能力を持っている人は、
もう神様である。
仏様でもいい。秋刀魚の頭でもいいけど。遠藤周作による、たまねぎでもいいけど。
だからどうだ。
というと、私はこういう人のテクニックを学ぶのであ~る。
そのたんび。
「あ~あ、もっと練習しておけばよかった」と思うのであ~る。
しかし、そのたびに私は賢くなるのであ~る。なぜか!
やはり、知ってしまうというのは、
(知らない振りして弾く事ができなくなる)
知ってしまっているのだから、知らない振りして弾くのはうそつきということになる。うそつきは泥棒の始まりであ~る。
かくして、私は悶々と悩むのであ~る。
「あ~あ、だめだなあ」
こうして、私は毎日毎晩酒を飲み、嘆き、悲しみ、いっそ死んでしまおうかと0.001秒考え、0.002秒後には考え直し、酔っ払ってぐっすり眠るのであ~る。
翌朝はだいたい気持ちよく目覚める。