今晩は市原ひかりちゃんのセッション。ピアノの堀君もドラムの加納君も皆さんすばらしい才能でした。私一人平均年齢を上げてきました。やつら20代だもんなあ。ダブルスコア。しかし今の若いやつはうまいね。MCも上手だし、エンターテイナーだし。時代は変わる。
今日は演奏中にずっと話してる客がいて。ちょうどバラードだったのでよけい気になる。
私ももうそんなことで目くじら立てる年齢じゃないので、ちょっとベースソロでいたずらをしてみた。
どんないたずらかというと音楽の流れからはちょっとかけ離れたショッキングなことをやるのだけれど、大概それで静かになる。
音楽的にどうかというのはあるけれども、それもひとつの音楽のやりかたですから私の良心はちっとも痛まないのです。
聴衆は純粋であります。聴いていない人にはちょっと注射をしてあげる。そうするとすぐ治まるものです。
ついでにベースソロについて言及。
そもそもベースソロは一般的音楽というスタイルで言えば異常な事態です。
まず普通はベースソロなどない。あっても効果的に数小節。
もともと最底辺でハーモニーを支える役目ですから。それをジャズの場合1コーラス以上やるのだから大変です。何が大変って聴いているほうがです。
「いったい何が始まるのだ?!」ということになります。ジャズに慣れている人はそうは思いませんが、トウシロはびっくりします。
しかし音程の悪さと「何をやっているのか理解できない」ということで聴く興味を、だいたいですが失います。低い音程は刺激的ではないので。それに音色もやさしく暖かい。
ジャズクラブではベースソロが始まるとおしゃべりが始まるということがよくあります。
私はかねてからそれはもっともなことだと思っていました。別に無理やり聴けと言うつもりではありません。
そういう事例から何が面白いのか、どうすれば興味を持続させられるかということを考えるようになりました。
一般にベースの絵とか見ると熊さんが弾いていたり、ようするにユーモラスなイメージがあります。低音楽器一般についても言えることです。バリトンの歌なんかはほとんどお笑いの場面でしか出てこないでしょう?
でもグリッサンドや最低音というのは強力な武器になります。
それをどこまでシリアスにできるか。とか注目させるにはどうやればいいのかとか。そうとう研究しました。もともと私はベースで好き勝手やりたかった。ベースで好き勝手やって文句を言われないのがジャズですから。
ジャズは非常に民主的です。「僕がソロをしたんだから次は君の番だ」ですからね。
逆に言えば民主的でないジャズは私にとってはあまり興味のない音楽ということになります。そういうのは演奏するより聴いていたほうがいい。
というわけで私はよく、このような演奏をしているわけです。気に入られないことが多いと思います。が、しかしまだ仕事を頼まれるということは気に入ってくれる方もあるということですよね?2月14日
PS、そうそう毎年少なくなるチョコレートですが、今年はひかりちゃんありがとう。