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第1回目の講座から既に大好評の大阪語講座。イタリアのレーベル『ブラック・セイント』のジョバンニ・ボナンドリーニ氏とアート・アンサンブル・シカゴのドン・モイエの大ゲンカの現場に居合わせたS氏。今回は、その続編
アーティストいうのんは、有名になると無名時代のことを忘れまんな。とにかくレコード出してくれ、て泣きついて、随分とジョバンニに世話になったんですよ。当時まだフリージャズが出てきたばかりで、彼らにネームバリューがないでしょ。リスクかぶって出してやったんですよ。それが、2年経って有名になったら、ロイヤリティーを要求するようになったんです。誰かに入れ知恵つけられたんでしょうな、交通事故の後の始末とおんなじや。自分が、マイルスやコルトレーンなんかと勘違いして、オレにもロイヤリティーくれへんかて、言うて来よった。ロイヤリティー言うのんは、はじめの段階で契約しておくもんです。それを、後になって言うから、おかしな事になるんです。ジョバンニが怒りましたわ。イタリア語と英語でケンカがはじまりました。なに言うてんのかさっぱりわからん。後で聞いてケンカの中味がわかったんやけど。ジョバンニが「そんなに欲しいんやったら、これ持って帰れ!」てLP30枚で1箱のんを、2箱ドン・モイエにほったんですわ。ドン・モイエがどないしたと思います?
ニタと笑うて、その箱持って帰りよった。夕陽とともにドン・モイエは消えて行ったんですわ。「あんたの負けやな。」てジョバンニに言うたら、頷いてました。作品はアーティストと一緒になって作るけれども、立場は敵と味方になる。そういう凌ぎ合いを目の当たりにしたわけです。
ジョバンニは、ビジネスマンであるし、契約社会に生きてる人間です。そういう人間にとったら、何を急に理不尽な事を言う来てんねん、ということですわ。けど、ドン・モイエはアーティストです。アーティストにとって大切な作品やから、拾たんです。ほんまに温かい人やなて、その時思いました。アーティストは、みんな目立ちたがり屋やけど、あいつのためやったらいっしょに演奏しよか、いう心意気でやってますやん。そういう情の世界に生きてますやん。それて、日本人ならわかりますやろ。そこにシンパシーを感じたんですわ。日本は情の世界です。そして、それがトラブルのもとにもなります。ビジネスは契約の世界やから、それに徹しないとあかんのやけど、私の場合どうしても日本人気質が抜けません。あの人かわいそやからとか、大変やから何とかしてやらんととか思うてしまうんです。ジレンマでんな。悪いのはこの自分です。そやからいまだにちいとも偉くなれません。いまだに現場を駆けずり回ってるんです。契約の世界に生きるべきか、情の世界に生きるべきか、葛藤が続いてます。子曰く、40にして立つ、50にして惑わず。ワタシ、いまだに迷てます。
今から25年前、若きS氏は人生で最も長く充実した3日間をヨーロッパで過ごすことになるのだが、その3日目に訪れたのが、ドイツのECM。さて、どんな出会いが待っていたのか。
ジョバンニに紹介してもろて、ECM のあるドイツまで列車に乗っていきました。渡された住所に行ってみると、木造の建物があって、『JAZZ BY POST』という会社名になってました。日本人やいうことで、えらい歓待してくれました。けど、どうも話がかみ合わん。おかしいな思うて、「あんた、誰?」て聞いたら、「そっちこそ、誰や」「あんた、ECMの人ちゃうん?」「ちゃうがな。ECMは裏の建物やがな。」はよ、言わんかい。結局、『JAZZ BY POST』言うのんは、ディストリビューターで、ECMのレコードも扱っとったんですわ。まだ小さかったECMは、その裏の建物を借りてひっそりとやっとったわけです。
ECM の建物に行くと、すぐにプロデューサーのトーマス・ストワァサンドが会ってくれました。自分の目指す音楽について熱く語ってくれました。当時のECMは、早すぎたいうんか、時代に合ってなかったし、ECMサウンドがまだ確立されてなかったんですな。今まで聞いてきたジャズという感じとは違ってて、こんなんで売れるんかいな、いう印象でした。ヒーリングがかったフィーリングいうヤツでんな。ただ、ストワァサンドがほんまに熱心なんで、ほな、売れるか売れへんかわからんけど、一遍やってみるか、いうことで、サンプル程度に10タイトル10枚ずつ買うことにしました。そこで、まず値切ったんですわ。さすが大阪人でっしゃろ。というよりも、ビジネスとしての考えがあったんです。その頃、輸入盤のレコードは価値があって、価格が高かった。だいたい1枚の店頭価格が 3、000円でした。
私のビジネスとしての考えは、輸入盤の価格を少なくとも日本盤の価格と一緒にしよ、いうもんでした。そこで、値切った。ECMはECMで、とにかく普及したかった。というわけで、値切りにすんなり応じました。
100 枚のレコードは重いでっせ。手に持って帰りましたがな。日本に戻るとすぐに売る努力をしました。すると、東京のレコード店が、「これ、いいんじゃないの」言うて、全部買ってくれました。先見の明があった言うのんか、大阪の文化に負けたくなかったんとちゃいます? がんばりはった。それから、すぐに追加の注文が来ました。これはいけるんちゃうかいうことで、他の店にも話を持って行きました。
その頃日本では、エリントンやコルトレーン、さらにはアート・テイタムと言った連中の音にみんな飽きてきとった。そこでECM のヒーリング作用が時代にマッチしたんでしょうな、たちまち10タイトルそれぞれ400〜500枚の注文が入って来ました。ECMはえらい喜んでくれました。そのあと調子にのって、カーラ・ブレイのセンセーショナルなジャケットの『JAPO』を発売しはった。ストワァサンドが若手アーティストを育てたかったんでしょうな。このカーラ・ブレイのジャケットがいわゆるジャケット買いの始めでしょうね。そういうところが出てきて、今のEnjaとか、ジャズのインディーズ・レーベルが確立されてきたんです。
アーティストを育てるのんは、メジャーやのうて、インディーズです。インディーズのたったひとりの人間の並々ならぬ情熱が育てるんです。メジャーは、どうしても営業が前面にでてくるので、芽をつんでしまいます。メジャーがインディーズのレーベルを買い取ると、いいプロデューサーの腕は死にます。いいアーティストは出ていってしまいます。レーベルは買い取れても、その魂までは買い取れませんのや。ストワァサンドもECM がポリグラムに移る時に辞めてしまいました。メジャーにのまれた悲劇でんな。今はもう、かつてのECMとはまったく違います。そういう時にアーティストはどうするか。レーベルについて行くのか、プロデューサーについて行くのか。そこで、アーティストの姿勢が問われるわけや。なんか、レコード会社の触れてはならん所に触れた、いう感じちゃうん?けど、人生には多かれ、少なかれ、そういうところがあるんとちがいますか。
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