啓子です。おひさしぶりです。生きておりやす。大変ご心配かけております。
本年の誕生日には、「あの~。。。吉田啓子さんの携帯でしょうか???」てな恐る恐るの
生存確認の御電話をたくさん頂きました。本当に有難いかぎりです。私の彼氏、「癌くん」との同居生活も早10年。結婚するつもりもないので、御話がもう少し、はっきりするまではと、御報告をのばしのばしにしていました。まだまだ別居とはすっきりいかない腐れ縁です。が、とりあえず、愛の御報告を。
啓子さんの病状経過 17
長期の未報告(何年ぶり?)で失礼いたしました。
その後も、癌のゲリラはしばしば出現。度重なる手術を列記しますと、以下の如きです。
平成18年 6月 咽頭悪性腫瘍手術・・喉の外科手術です。
平成19年11月 早期食道悪性腫瘍内視鏡的粘膜切除術・・食道癌を内視鏡で切る手術。
平成20年 3月 早期食道悪性腫瘍内視鏡的粘膜切除術
平成20年 7月 早期悪性腫瘍粘膜切除術・・舌癌の外科手術です。
平成21年 5月 早期食道悪性腫瘍内視鏡的粘膜切除術
平成23年 7月 早期食道悪性腫瘍・内視鏡的粘膜下層剥離術・・初めて!下記参照!
少々術式と部位の違いがありますが、基本的には咽頭(のど)と口腔(舌)は外科手術で、食道は内視鏡下で病巣を切除する方法です。いつものものとは、ちょっと違いのある所だけを記していきますと、
先ず、平成18年の咽頭悪性腫瘍というのは、中咽頭(一番最初の手術は下咽頭)に生じたものです。具体的には、口蓋垂(いわゆる「のど××こ」)の少し奥の所です。今までの病側と同じ左側でした。この時は、舌の右奥の白板症の所が啓子さんは以前から気になっていて「ここは様子を見てもよいでしょう」という担当医の意見もありましたが、「えい!」
と一気にやってしまいたいのが彼女の真骨頂、担当医に切除して頂くことを御願いいたしました。術後に、こちらも組織を調べますと扁平上皮癌になっており、リンパ管への軽度の浸潤も始まっておりました! リンパ管をもっと侵すことになっていたら、リンパ節に転移する可能性が高くなっていたということでした。タイミングの良い手術でラッキー!という所ですが、啓子さんは動物的直観の勝利、と得意顔でありました。
平成20年7月の早期悪性腫瘍粘膜切除術というのは、口腔内の手術(舌です)でした。これも、これまで再三述べてきました、舌の白板症の部分が癌化の可能性あり、ということで切除。組織を診れば、やはり癌でしたと言う状態。以後、舌も要注意が続いていますが、口腔内は他にも、上顎、頬など幾つかの要注意箇所があります。
直近の本年23年7月の手術は、基本的には内視鏡的に切除する方法ですが、今回の病巣が以前に処置した部位(線維化があって固くなっている)にも、かかっているため、従来の方法と違ってITナイフという器具を用いて広く切り取るという方法でした。
これは、上述のとおり、固くなった粘膜や広範な病変でも切除が可能な半面、治療時間が
長い、時に出血が多くみられたり、更には穿孔(粘膜を破って穴があいてしまうこと)をおこす可能性があるとのことです。担当のY先生から、そういう説明を受けて手術時間は1時間~1時間半、入院1週間と言われました。 幸いなことに穿孔もなく約40分で無事終了となり、入院も5泊6日で、帰宅しました。 以上が、「本業」の癌との戦い。この間も「副業」が沢山あるのが啓子さんの本領です。これも時系列で表記いたしますと、
平成18年9月 左足の甲の骨折と右足首の強度の捻挫。
平成19年秋~ 右肘の関節障害 と 両膝の損傷
平成22年11月 尾骶骨骨折
平成22年12月 反復する鼻出血
平成23年1月 寒冷蕁麻疹(?)
平成23年2月 肋骨骨折
平成18年の骨折は人身事故の影響で混乱となった駅の階段から老女をかばって自分が落下。湿布と固定と松葉杖。以後2ヶ月半は、階段を上がって寝室に行くこともできず、リヴィング・ルームに布団を敷いて寝起きをすることになりました。終日、居間ですごす「イマニイル夫人(居間にいる)」となりました。
平成19年の肘と膝の損傷は、骨折から回復して運動不足・メタボ解消に始めたテニスが原因。 主治医の「何か、御変りはありませんか?」の問いに、
「肘が本当に痛くて包丁も使えませんが、肘の癌?それともテニスのせいでしょうか?」
「ん~ん。癌センターで、そういう質問をする人は、あまりないですねえ、、、。」と主治医。
と言われながらも、今までの経過で骨転移を調べる検査を受けた事がないのが判明。
「まず骨転移はないと思いますが、一回くらいは検査をしておきましょうか?」と主治医。
早速検査を受けるも、結果は白(当然!)。いわゆる「テニス肘」という診断。膝は、半月板損傷が発覚し、もう片方の膝は、交通事故で内側側副靭帯の古傷があるため、無意識にかばうのか両膝が不調になりました。
平成22年12月、繰り返す鼻出血に悩まされました。電車の中で突然の大出血!親切な
乗客に助けられた事も。世の中捨てたものでもないな、と感謝。
同22年の尾骶骨骨折。同じく23年の肋骨骨折(これは痛かった!寝返り打てず)。
いずれも、記者クラブ等での仕事中の出来事(脚立からの落下です)。その間の1月に苦しめられたのが、謎のアレルギー。これは、寒さに曝された部位―顔、耳、腕、足、から始まって尻や背中まで全身に赤い湿疹がデコボコと出現して痒みが生じます。ステロイドや抗ヒスタミン剤なども使いましたが、低温の暴露を避け、温めると軽減もしくは消失することが判り、一応は「寒冷アレルギー」によるものだろう、との診断で、春の温もりとともに治りましたが、この冬も、要注意とは思っております。以上が結構多彩な「副業歴」でありました。ともあれ、病を得て10年目を迎えました。私(筆者)は、医師とはいえ、専門は眼科です。卒後20年以上も経てば、他科の診断や治療法は、学生の時に学んだものとは全く異なり、多くの進歩を遂げています。身近にいながら、啓子さんの病気に就いて初めて知る事も多くあり、医師としての私は、全く役にはたっておりません。これまでの経過は、啓子さん自身が積極的に情報収集を行い、選択し、決断し、治療を受けてきた結果に他ならず、私自身もまた一人の定点観測者にすぎません。今後もこのスタンスに変わることはなく、私自身、彼女についていき、その経過を皆様に御報告していくつもりです。
2011年 9月30日 大木隆太郎